その昔、深い恋仲となった鍋乃と助三郎の悲恋の伝説が伝えられる海岸。鍋乃に思いを寄せる恋仇の男の罠のため、助三郎は海の深みにはまって命を落とし、鍋乃も助三郎の後を追って海に身を投げ死んでしまうという悲しい恋の伝説から、いつしかこの地が「恋路」と呼ばれるようになり、この2人の熱い恋に思いをはせ、カップルが恋路海岸の砂浜を歩くようになりました。助三郎と鍋乃をしのぶモニュメントや鐘、銅像が設置されています。
廃線となったのと鉄道の恋路駅には、「駅ノート」なるものがあり、来訪者がメッセージを書き込んでいます。廃線から7年が経っても書き込みは減らず、駅の壁にも恋人たちや失恋した人によるメッセージが多数記されています。
能登半島の代表的な観光名所の見附島を望む海岸線に設置されています。見附島と悲恋伝説が残る恋路海岸(能登町)を結ぶ約3キロは「えんむすびーち」と言われており、恋愛の成就を願って、この鐘を鳴らしに来るカップルは増えています。
織機に似ていることから、地元では「機具岩(はたごいわ)と呼ばれているが「能登二見」の別名もある。機具岩の名前は、かつて、鹿西町の能登比咩神社の祭神・沼名木入比売命(ぬなきのいえりひめのみこと)が山道で賊に出遭い慌てて背負っていた織機を海に投げたところ、二つの岩になったという伝説による。小さい岩が男岩で高さ12メートル、大きい岩が女岩で高さが15メートルある。縁結び、夫婦円満、子孫繁栄の象徴として親しまれており、美しい夕日のビュースポットにもなっている。
能登の風習では、結婚式の日、新婦が新郎の家で、両家の実家の水を一つの杯に注ぎ合わせて飲む「あわせ水」の儀、素焼きの杯を割る「かわらけ打ち」、仏間の入り口に掛けた花嫁のれんをくぐる「のれんくぐり」、そしてご先祖のご仏前でお参りをする「仏壇まいり」の後、花嫁道中が行われる。
能登では、花嫁道中の際に「縄張り」という風習もある。これは、新郎新婦の行列が通る道を地域の人が縄を張って通せんぼするというもので、仲人が祝儀を渡して、縄を解いてもらう。「今後の苦難を乗り越えていく」、「地域の人に受け入れられてもらえるように」という意味が込められている。
加賀・能登の庶民生活の風習の中に生まれた独自ののれんで、幕末から明治時代初期のころより加賀藩の能登、加賀、越中に見られます。花嫁が嫁入りの時に「花嫁のれん」を持参し、花婿の家の仏間の入口に掛け、玄関で合わせ水の儀式を終え、両家の挨拶を交わした後、花嫁がのれんをくぐり先祖のご仏前に座ってお参りをしてから結婚式が始まります。その後、「花嫁のれん」は新婚夫婦の部屋の入口に掛けられます。現代では、風習・しきたりを重んじる地域や旧家、石崎奉灯祭りの祭礼時などに欠くことができないものとして家々に受け継がれています。
七尾市の一本杉通り商店街では、この風習を多くの方々に知っていただこうと、毎年4月29日から母の日まで、「花嫁のれん展」を開催しています。
国の天然記念物に指定された「入らずの森」があり、名前の通り、多くの「気」が集う神社(パワースポット)として注目を集めています。拝殿には、数々の試練を乗り越えて恋を成就させた伝説がある「大国主神(オオクニヌシノカミ)」がまつられていることなどから、縁結びの神社として全国に名を馳せています。
輪島市町野町曽々木の旧麒山道(きざんどう)トンネル。昨年10月、NPO法人地域活性化支援センター(静岡県)が選ぶ「恋人の聖地」に認定されました。戦後の能登ブームのきっかけとなった映画「忘却の花びら」(1957年)で話題になったキスシーンがゆかりとされます。奇岩が連なる曽々木海岸沿いに位置し、トンネル内にはハート形の電飾が設置され、赤いハートマークが浮かび上がる仕掛けになっています。
細かく区分された棚田が丘陵の斜面に広がる、奥能登を代表する景観の一つです。毎年、誘客イベントとして結婚式を行っており、昨年からはLEDで棚田を彩るイベント「あぜのきらめき」を開催しています。
毎年春の大型連休時に青柏祭を行っている神社として知られています。お参りすると良縁に恵まれるとされることはあまり知られていない、隠れたスポットです。奈良時代に能登国の守護神として、山王社(日吉大社)の分霊を勧請して創建され、明治15年(1882年)、山王社と祇園牛頭天王社(八坂神社から勧請)を統合し大地主神社と改称しました。
昨年11月、縄文時代にあった「環状木柱列」が復元されました。岩手県産クリ材を用い、高さ約7メートルの柱10本を並べています。目的ははっきりとはわかっていませんが、暦や宗教儀礼を行った施設などの説があります。